板橋ビューネ劇評(よこたたかお)

 

0.

 この劇評を読まれるに当たって、いくつか断っておかなければならないことがある。まず第一に、私(よこたたかお)はこの演劇祭の実行委員の一人であり、また上演作品を出展した身であり、抜き差しならぬ関係をこの演劇祭(板橋ビューネ)に持っており、批評的な公平性を欠く立場にいるということだ。

 なぜ私がこの劇評を書かなければならないかと思ったのかと言うと、もしかすると出展作品がきちんと読み解かれていないのではないか、という杞憂があり、それは単に出展者や出演者の知り合いが観に来るだけで、作品の良し悪しを既知の間柄同士で判断してしまってはいないだろうか、と考えたからである。

 これから述べていく批評――といっても、私ですら「内輪受け」の批判を免れないではないが――は、従って(1)観客へと上演を開いていくことと、(2)出展者に向けて作品を批判的に扱っていくことの両面を含んでいることになる。

 また蛇足ではあるが、実行委員として組織の内部にいる人間がこうした発言を行うことは、それ自体で(実行委員、出展者、また上演に関わる全てのキャスト・スタッフなど)演劇祭の関係者と反目しかねない行為であり、むろん批評を行う限りはそうしたリスクを引き受けた上で――でもだからこそ、この演劇祭の一員がすべきだと考えて――行うことなのだと了解していただければ幸いである。

 (*コメントなどは、直接私のメールアドレスに頂ければ幸いである。批判・賛同、喜んで回答させていただきたい。)

 

1.

 2013年8月27日から9月4日の9日間にかけて行われた板橋ビューネには、4都市8団体の劇団が参加した。観客の総数はおおよそ300名弱で、決して規模は大きくないが、手弁当ながら演劇祭全体を運営していくだけの集客ができた結果となった。また、最終日のシンポジウムには関係者が20名近く参加することとなり、演劇祭への参加団体の期待の程を感じることができた。

 演劇祭のテーマは「古典」の上演である。「古典」とは何かという提示は演劇祭の側からはなされなかったが、出展者の上演作品を見ていると(イプセン、ストリンドベリ、チェーホフ、岸田國士、ドストエフスキー、シェリー)、19世紀の作家(岸田國士は20世紀初期に活躍しているが)に限定されていることが分かる。そこにはシェイクスピアはおろか、ギリシア悲劇詩人、能、フランス古典劇や歌舞伎は含まれていなかった。

 私はまず、そのこと自体に一つの批評的態度を読み解くべきだと思う。我々にとって19世紀のテキストは既に古典であり、同時に上演可能なテキストでもあるのだ。参加した8団体は、韻文を上演する技術を持たないが、散文は既に古臭いものなのである。「既に古臭い散文」と、少し逆説めいた言い方をしてみたので、それを私の趣旨の元で説明しておきたいのだが、「読まれる劇」(レーゼ・ドラマ)としての「劇Drama」が「上演representation」の文法と乖離しているのではないか、という疑惑が出展者の中に入り込み、いかにしてテキストを上演するか、ということがこの演劇祭の主要なテーマとなっていたと私は考えている。何を当たり前のことを、と読者は思われるかもしれない。だが改めて考えてみて欲しい。今でもテレビを付ければ「読まれる劇」としての「ドラマ」が上演されているし、多くのブルジョワ劇場では「読まれる劇」が上演されている。決して商業的に上手くいっていない劇場さえも「読まれる劇」が「成功の第一歩」として考えられているし、十分に私たちは「読まれる劇」の言説というものの中に嵌まり込んでいる。ここで一度、古めかしい問題に立ち返ってみよう。一体誰が、テキストを上演へと立ち上げるのか。それは紛れもなく演出家ではないだろうか。演劇祭全体を通じて、演出家の手つきが正当に評価され、観客によって吟味されただろうかと私は疑問に思う。演出家という職能の必要性も含めて、改めてこの場で議論を展開していきたいと思う。

 そしてこれは人によっては少々古めかしい議論を呼び起こさずにはいられないだろう。私は改めて、演出家という職能を問題にしているのだから。そして人によっては新鮮な議論のようにも感じるだろう――いまだに劇場が「劇」を演じる「場」だと考えている人たちにとっては。

 

2.

 議論の呼び水として最適なのは、劇団総合藝術会議の『【J.A. Strindberg】の害について』である。

 上演のあらすじとしては以下の通りだ。

 文学者らしき人物が講演会に呼ばれてストリンドベリの生涯について論じる。彼はどうやら北欧文学の専門家ではないらしいのだが、頼まれてストリンドベリについて講演をしている――ストリンドベリとは、それだけ認知度の低い作家だということになっている――。同時代人であるイプセンを引き合いに出しながら、当時のフェミニズム運動や自然主義文学運動、象徴主義などの概説を加えながら、ストリンドベリの劇作上の成果について展開していく。

 話の途中で、シラー『群盗』の抜粋、ストリンドベリ『死の舞踏』『幽霊ソナタ』の抜粋などが演じられる。ストラヴィンスキー『火の鳥』が劇全体に掛けられている。

 当日パンフレットに掲載された演出家(嵩山)、劇作家(小野)の発言を少し引いてみたい。

 

この2年間における我々(私)の大きな悩みは演劇の捉え方と舞台芸術としての演劇に大きなギャップを感じている点でした。

思想的には一定の成果を得たからこそ、応用へと戸惑いでありました。舞台芸術としての演劇はなにであるのだろう、共同体とは一つの現状であってその多様性を捉えるためにあるのか、それとも…。

(嵩山貴士)

テレビが演劇を殺したと言われた時代がありましたが、わたしはそうは思いません。演劇は様々なものから自由になったと思っています。観客は喜怒哀楽から解放されて、舞台の上で起きた出来事を、自分の受容器の中で好きに組み立てる事が出来る。

(小野晃太郎)

 

 参照されたストリンドベリのテキストを、いかに舞台化するかという観点から、断片化しストリンドベリの生涯へと還元することで、時代の離れた今日の観客へと作品を届けようという試みがなされている。それは例えば、芥川龍之介の小説を引用・編集しながら舞台化するようなものでもあり、シェイクスピアの生きた時代や当時の状況を含めて、テキストを上演し直すという試みのようなものでもある。確かに、映画『恋におちたシェイクスピア』のように、「古典」を読解するために必要な当時の社会背景や権力構造を注解していくことは、『ロミオとジュリエット』を抜粋上演するよりも親切なのかもしれない。

 ましてや、ストリンドベリである。おそらく、観客の中にはストリンドベリを読んだことがある人は、ほとんどいなかっただろう。また同時に、余暇に時間も割けないような今日の生活スタイルにあって、ストリンドベリが読まれるべき作家であるかどうかも疑わしい。『令嬢ジュリー』や『ペリカン』など、それだけで上演しても一応は楽しめる作品ではあるが、それが劇場でかかっていたとして、興味を持つ観客というのは限られているだろう。

 「今、何故ストリンドベリなのか。」――その質問に答えるようにして、劇はイプセンの紹介から始まる。イプセンが時代の陽だとすれば、ストリンドベリは時代の陰である。女性解放運動の代名詞(ノライズムとは、『人形の家』の主人公ノラから付けられた)となった『人形の家』。封建的な家制度から解放された、「近代的な女性」を描き出したイプセン。

 この上演では扱われなかったが、ストリンドベリの『令嬢ジュリー』はいわば、『人形の家』の鏡のような作品である。貴族の令嬢であるジュリー嬢が、召使の男に恋をして、主従関係を逆転させられてしまう、貴族の没落を描いた作品である。女性解放運動、新しい女性を標榜する時代にあって、それに反対していく姿は、まるで10年前の男女雇用機会均等法が施行されたときの、その恩恵を受けた女性たちと、あくまで冷静であった人たちを見るようである。むろん、女性の社会からの「解放」は必要なことであるが、それは必ずしもノラのような男性中心社会からの解放だけではなく、ジュリーのような貴族社会の没落も含まれることになる。

 そもそもストリンドベリには、ある種の女性嫌悪(ミソジニー)があった。理想的な女性像を持つがゆえに、現実の女性を嫌悪し、女性を汚らわしいものだと考えている。換言すれば、彼は知性の人なのである。その知性が極まることで、彼は後期に――俗に「インフェルノ」(地獄)と言われる――精神疾患に陥る。まさに、アルトーである。

 その彼の精神性を表すかのような、象徴主義的な後期の作品(『幽霊ソナタ』)が劇の後半で抜粋上演される。

 上演全体としては、社会的コンテクストを解説し、人としてのストリンドベリを紹介しながら、それぞれの戯曲の断片を上演する。その断片的なテクストから、私たちは多くのことを考え、想像し、作家が生きたドラマのことを考える。舞台上ではドラマ=葛藤は起きないけれど、観客の頭の中で、ドラマは想像される。時代に隠れた作家のことを私たちは想像し、その生活=人生に想いを馳せる……。

 

 彼らにこの仕事をこなすだけの力量がなかったことを、ここで殊更指摘するつもりはない。もう少しリサーチが進み、見せようとする抜粋や、その説明が整然とすれば、この作品はもっと良いものになったであろう。「いささかペダンチック」だと水牛には評価されているが、例えばこの作品を「漫画で読むドストエフスキー」や、世界文学全集的なものだと考えてみてはどうだろうか。有名作品や教養小説だけが「読まれるべき」文学であり、はたまた娯楽小説だけが余暇に耐える文学であると考えられている時代にあっては、時代の影を描写する作家に触れることは悪いことではない。むろん、この作品が単なる「お勉強」の成果として受け止められたとしても、それはリサーチ不足によるものであって、彼らの創作意図を非難するつもりは私にはない。

 その意味で、この作品は改めて練られるべきだし、練られずに今回の上演で終わるならば、そのストリンドベリに対する軽薄な態度を私は責めようと思うし、責められるべきだと思う。小野がストリンドベリを通じて、何を言いたいのかということが判然としない限り(そして、それはしなかった)、小野はただ単にストリンドベリという、もの珍しい作家を見つけてきただけの上演になってしまう。そうした態度は、少なくとも既存のテクストを扱う立場にいる演劇人にとっては、テキストを上演する権利を失効させるだけである。これが練り直されて再演されるべきものだと私は考えている。

 この上演が、私にある種の倦怠感や、嫌気を覚えさせたのは、引用・編集されるテキストが、演技レベルでしか再現されず、劇場全体ないしセノグラフィという観点から再現されていなかったということだ。シラーの引用にせよ、『死の舞踏』や『幽霊ソナタ』の引用にせよ、簡単な小道具と、音楽、そして俳優の演技の質の変化によってしか表されておらず、それこそその戯曲が上演された社会的条件を彷彿とさせる、セノグラフィという観点が抜け落ちてしまっていたのである。(終盤に、ろうそくを伴って能のような演技で『幽霊ソナタ』を演じる場面があったが、それも少しとってつけたような、簡単なものでしかなかった)

 ストリンドベリの場合、ファルクと立ち上げた「親和劇場」は、彼の理想を表現するメディアでもあった。劇場から飲酒や雑談といった、「ブルジョワ的娯楽」を排除し、知性的な場にすることが彼の理想であった。『令嬢ジュリー』や『ペリカン』といった「自然主義的」な戯曲は、イプセンのような(誤解されている意味での)「リアリズム」ではなく、知性のための、社会と接合するための装置としての劇場(従ってそれは「劇」を演じる「場」ではない)で上演されるべきものとして書かれたのである。(――これは私の勝手な意見であるが、劇団総合藝術会議が演技の水準でしかテキストの引用・編集をしなかったという点から見て、ストリンドベリの「テキスト」しか読んでいない可能性があったと判断している。むろん、反論を受け付けなければならないところだが、もしそうだとすれば、小野はストリンドベリの「テキスト」のみを参照としたことで、ストリンドベリの「非‐テキスト」をまるで参照していなかったことになる。それが私の指摘する「リサーチ不足」である――。)

 そして、この「テキスト」を参照することから作られる「非‐テキスト」的な、もしくは「演劇的な」再解釈というのは、この演劇祭全体を通じた一つの傾向であった。(繰り返しになるが)それは我々が散文を「古典」とするような時代にあって(それは演出家だけの問題ではなく観客の問題でもある)、韻文を参照とすることすらできず――そこに歴史的な断絶を感じることもなしに――散文をいかにリズミックに、空間的に、構成的にしていくかという編集作業を「演出」と我々が呼んでいることを示唆させるものである。

 

3.

 「演出家」という職能自体は、19世紀初期から既に存在していた。もしかしたらそれは、17世紀フランスにおいて、ルイ十四世を「演出家」の起源としてもいいかもしれない。しかし、「演出家」は今で言うところの「舞台監督」や「プロデューサー」の役割を担っており、フランス語で言うところのMetteur en scène(舞台に配置する人)とは、俳優の立ち位置を決める人であり、舞台装置や作曲、プロモートなどの全ての仕事の段取りを行う役職であった。19世紀中ごろ、小説を翻案し舞台化することが流行した。例えば今日でも、『レミゼラブル』のミュージカルや、『椿姫』のオペラなどが上演されている――それは上演戯曲ではなく、小説を翻案したものである。演出家は、テキストを劇場にかけるに当たり、どの小説を選び、どの俳優を使うか、どの作曲家と組むかといったことを取りまとめる役であった。気に入った小説(ないし当たりそうな小説)が見つかれば、それを「舞台化」するのである。

 その意味では、M.M.S.Tの百瀬友秀だって同じことをしている。ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』という小説を選び、それを「舞台化」しているのだから。ここでいう二つの「舞台化」には、一体どんな違いがあるか。(教科書的な作法ではあるが)例えば「演出家」の祖として挙げられることの多い自由劇場の創設者であるアンドレ・アントワーヌと、その他の商業的演出家の違いを振り返ってみることにする。アントワーヌは、ゾラに認められた後、イプセンの『幽霊』をフランスで始めて上演する。当時イプセンの戯曲は社会的に危険だと考えられており、上演することはできなかった。そこで、会員制という仕組みを取って、要するに公には公開しないという形でこの戯曲を発表したのである。ここでは、観客にウケるとか、芝居で当てるという意図の下に上演が企図されておらず、政治的メッセージを伝えるために上演されていることがわかる。

 仮に(小説の)作家が当世風の物語を描かなかったとして――それが時に反社会的で、理解されなかったものであったとして――、そのテキストを上演する場合、演出家はどのような立場を取るべきであろうか。テキストの「紹介者」としているべきなのか。はたまた、テキストの「純粋な仲介者」としているべきなのか。

 アントワーヌが「演出家」の起源とされるのは、テキストを観客に受ける形で「演劇化」するのではなく、テキストの持つ強度やメッセージを歪めないような形で「演劇化」するからである。もしかすると、それは19世紀にはテキストを「そのまま」上演することが、その目的を達成する方法だったのかもしれない。劇場にはまして約束事が横行し、(基本的に今でもそうだが)金のある裕福な人間の趣味に合った空間を作ろうとしてしまう。その経済的な力学に抗うこと自体が、一つの反目である。つまり、娯楽ではない劇場を構想することが、一種のレジスタンスであり、劇場が世界であると考える人間による夢である。その時、「演出家」は小説の単なる「媒介者」ではなく、同時に「創造者」にもなることができるのである。

 演出家としての百瀬は、こうした「創造者」としての「演出家」の立場を取っている。音響、照明、映像のプロジェクション、演技指導に至るまで、創作に関わるほぼ全ての役割を彼が担う。中でも、プロジェクションは彼が自立するために必要な道具=方法であることを私は指摘しておきたい。小説を舞台化する場合において特に困難になるのが、地の文(戯曲ではト書きに当たる、叙事的な描写)をいかに扱うかという点である。Metteur en scèneとしての演出家は、ト書きを舞台scèneに配置mettreする。

 

 舞台は終始暗く、舞台上には十字架が転がっている。その十字架の上方に男が一人。後方に女が三人、三角形を作って立っている。四人は白い紐によってつながっており、これが血縁という関係性を想起させる。上演時間は約30分と短い。

 抜粋された部分はカラマーゾフ家のイワンと、その召使のスメルジャーコフの対話であった。

 もちろん、この小説全てを上演することは不可能であるし、否が応でも翻案しなければならないのは必至である。百瀬の場合、概要を語るようなことはせず、むしろテーマを匂わせる一部分だけを抜粋して上演した。当日パンフレットにはそれが首尾よく書かれているので、少し紹介しよう。

 

本作ではカラマーゾフ家の召使いスメルジャーコフが持つ三兄弟への眼差しに焦点をあてながら、「家族」や「兄弟」といった関係性を求めざるを得ない私たちの欲望、そして、その関係性が持つ根源的な「強さ」と「脆さ」を見つめられればと思います。

(百瀬)

 

 十字架が配置され、アリアの朗誦から始まるこの作品は、既に始まりの時点からスメルジャーコフの受動性が主題に挙げられていることが分かる。劉殻演じるスメルジャーコフは過度に弱々しく描かれ、イワンの強さと対照的である。社会や家族に抗ったり、抵抗したりしながら生きるほど、我々は強くないのだと言わんばかりである。スメルジャーコフ(劉殻)はたった一片のレンガの上に立ち、今にもバランスを失いそうな姿勢でイワンと話をしている。だが、その弱さこそ、彼が神を信仰する強さを持つ由縁でもあるのだ。

 彼の背中が舞台の壁に中継されて投影されている。舞台の壁は抽象的な、格子状の白い線の映像が投射されている。それはスメルジャーコフの背中にも投影されているので、中継された彼の背中と、白いグリッドに二重化されて、さも彼が牢獄かどこか隔てられた空間にいるような印象を与える。

 不安定な足元。そして映像をプロジェクションされた彼の背中。それは彼が普段の生活ではまるっきり日の目を見ないような場所にいることを想起させる。

 以上のことからわかるとおり、百瀬はこの小説を「そのまま」上演するのではなく、彼の視点を持って切り取っている。演技以外の全ての要素は彼が担い、ほとんどそれはドストエフスキーである必要性がなく、血縁と信仰というテーマをあぶりだすためのものになっている。この恣意的な編集作業については既に水牛が論じているので、ここでは触れない(参照:M.M.S.T「カラマーゾフの兄弟」劇評)。

 演劇祭全体を通じて、この作品が最もコンパクトで、質の高い上演であった。

 それは同時に、彼が参加する8劇団の中で最も「演出家」らしい「演出家」であって、作家性を演出に読み解けたからに他ならないだろう。けれども本当に演劇に「作家性」なるものは必要なのかどうか。また、必要だとすれば、それはどこまで追求されるべきものなのか。少し考えたい点ではある。

 テキストを舞台化するという意味では、百瀬もアントワーヌも同じである。19世紀当時は、政治的な前衛が劇場に求められていたので、「そのまま」上演するだけでも価値があっただろう。しかしそれは今日どうであろうか。劇場からは「娯楽」すらも消えてしまって、観客にとっては「敷居の高い」「恐ろしい」場所にすらなってはいないだろうか。ともすれば形骸化した左翼知識人の溜まり場に堕ちてしまっている感すらある「小劇場」というレジスタンス的態度は、繁華街(例えば新宿)から次第に撤退し、徐々にうらぶれた地価の安い土地(例えば板橋)へと引き下がり、小さな村社会を形成してはいないだろうか。こうした村社会の中で価値判断を植えつけられてしまった俳優たちは、「小劇場」が「小劇場」足る由縁であった、思想的根拠を持つことなしに、ただただ芝居に没頭し、パートタイムで日銭を稼ぎ、年老いれば辞めていくというサイクルの中でしか演劇を構想しないことになりやしないだろうか。もしそうだとすれば、それは無益な再生産を繰り返すだけだろう。

 かつて安部公房は、核戦争が勃発しかねない冷戦時代に「テヘランのドストエフスキー」というエッセイを書いた。アメリカとロシアという大国が文字通り世界を動かしていた時代にあって、いつ世界がなくなってもおかしくないという絶望的な雰囲気の渦中、ある瓦礫の中にドストエフスキーの本が転がっている写真を見て、安部公房はこれが文学の力なのだと感じたのである。

 私は、ドストエフスキーをそのようなものとして構想したい。つまり、ドストエフスキーの中にテーマが転がっているのではなく、あるテーマに直面したときに転がっているのが、ドストエフスキーである、といったように。「演出」は、テクストの解釈や読みを示すものではなく、それ自体が発見され、読み解かれるようなものとしてあるべきだろうし、そうでなければ「テクストを読む」という事態はありえないのではないかと思う。もちろん、それは並大抵のことではないし、そうした「演出」だけが「演出」ではないことは承知している。けれども、M.M.S.Tの百瀬を好例にして改めて「演出」について考えさせられるものであったし、少なからずそこには「演出」というものの仕事が読み取れたし、「演出」という観点から上演が読み取られる良き可能性があったことを私はここで、付け加えておきたい。

 

4.

 キリスト教的世界という同様のモチーフを扱いながらも、作品創造のプロセスにおいて真逆の立場を取ったのが、劇団ドクトペッパズである。

 劇団ドクトペッパズは座・高円寺付属の劇場創造アカデミーの一期生の卒業生ら、4人によって構成され、2012年に旗揚げした若いカンパニーである。ダンスや大道芸、パントマイムなどをそれぞれ専門に学びながら公演活動をする彼らの作風は、アクロバティックな身体性に満ちている。

 『ヒュブリス』という作品は、シェリーの『フランケンシュタイン』を元にした作品で、聞く限りによると四人でアイデアを持ち寄りながら作品を作っているという。今回は演出に古賀が当たっているが、作品毎に演出は変わる。M.M.S.Tの百瀬とは好対照である。

 劇の冒頭、布が舞台の床に転がっている。布は一人でに動き出し、様々な形に変化する。上演中、ほとんど会話はなく、パントマイムやダンスによって場景は構成されている。このようにして、上演はいくつかのタブローによって構成されている。男が男を追い掛け回したり、赤い紐で女を縛りつけたり、二人組になって一人がもう一方の歯磨きをサポートするような動きをしたり、女がただひたすら飛び跳ねていたり。構成そのものが『フランケンシュタイン』の物語を模しているということはなく、むしろ動きのモチーフが新たなモチーフを引き出し、動きの展開によってタブローが構成されていた。

 そのこと自体にまず、疑問を持つ人もいるだろう。一体、どのようなメッセージをこの場面から受け取ればいいのか。物語らしい物語がない作品をどう解釈すればいいのかなど。補助線を引いてやるとすれば、「動き」から「動き」へと展開されるモチーフの扱い方によって「あらすじ」を読み解いてやれば良いのだと思う(後から聞いたことだが、それぞれの場面にはモチーフがあり、そのモチーフに沿ってアイデアを出していたという)。

 『フランケンシュタイン』とは、言うまでもなく有名な、あの奇怪な巨大な怪物のことである。この近代科学が生み出した憎悪の結晶を古賀どのように解釈したのか。当日パンフレットを引きながら、少し振り返ってみよう。

 

[『フランケンシュタイン』をテーマにしたのは]死体について考えることが人間らしいことなのだと信じているからです。死体は単なる物質ではなく、一つ一つに固有の価値があると信じることができる(あるいはそう感じざるを得ない)ところにこそ、「人間らしさ」があると思っています。そして、もう一つ。死体は美しく神聖なもの等ではなく、私たちと同じように醜く、間違って生きざるを得なかった人間なんだと私は思います。だからこそ、大切で大切で、仕方ないです。

(古賀彰吾、角括弧は筆者による)

 

 フランケンシュタイン博士によって作られた怪物は、自らもまた殺された人間の四肢によって構成されている。ここでいう「ヒュブリス(傲慢)」とは、人間を殺しておきながら、その罪を忘れ、自らの「神」である人間を呪い続ける、その怪物の人間らしさである。そう考えてみると、首を絞めて男を殺害したり、その殺害された亡霊が男を羽交い絞めにしたり(歯磨きの場面)、女を縛り付けて身動きを取れなくするなど、裁かれ、解消されることのない殺意だけが輪廻していく構成になっていたことが分かる。そしてラストのミルトン『失楽園』の引用は、ただただ神に対して受動的にしかなれない人間の、弱さと脆さの、けれども同情せざるを得ない呪いの言葉として響いてくる。赦しのない、ただ罪だけが積み重なっていく暴力の歴史(=戦争の歴史)が、言葉を用いず行為だけで展開されることによって表現されている。

 私がこの作品を見ながら考えていたのは、ベルグソンの『笑い』であった。古賀の言葉では、舞台上のパフォーマーたちは「死体」なのであるが、なぜこれが「死体」なのであろうか。また、これが「死体」だということを受け入れたとして、どうして彼らは白塗りをして、ぎこちない動きをしなければならなかったのだろうか。

 例えば一つの例として、カントルの『死の教室』を考えてみる。人形と見まごうようなメイクと衣装をした俳優たちは、実際に使われた古い教室用の机と椅子の中に配置されることで、「生きた死体」となる。むろん、彼らは「死んでいる」わけではないのだが、私たちの想像力の中で死者たちのかつて生きていた世界や、死んでしまってからの行く末などに思いを寄せる。もっと単純に言えば、それは歴史について学び、想像するということだ。

 『ヒュブリス』の場合には歴史的な視点はない。むしろ、歴史を超越するような態度すら望まれていたように思う。神に対する呪いの告白、直接的な交感。この世に生を受けてしまったという、全感覚的な嘆きが描かれている。ここでは「死体」が「存在」であり、「人間」は「超越者」である。古賀はあえて、「死体」を人間らしい、愛おしい存在だと捉えている。この反転した世界においては、怪物である非-人間こそが「人間」なのである。したがって、この作品における「死体」とは、私たち人間のことに他ならないのである。

 怪物フランケンシュタインは元々、極めて人間らしい心を持っていた。貧しいながらも助け合う人間の姿を見て人間の心を美しいと思い、自ら傷ついた人を助けるようになる。彼が憎悪を持つきっかけになったのは、その醜い姿からである。醜い姿ゆえに人から疎まれ、唾を吐きかけられ、好意すらも踏みにじられた挙句に、彼は憎悪の塊となる。問題の発端は「見た目」にあり、憎悪は愛情が反転することで生まれる(その逆に、彼が人間に対して愛情を持たなければ、憎悪も生まれなかっただろう)。怪物が怪物である由縁は、精神的な問題ではなく、ただ純粋に見た目だけの問題なのである。つまりここでは、表象が問題となっている。

 ドクトペッパズが描いた怪物は、関節の動きがぎこちなく、無表情なものであった。この関節のぎこちなさは、笑いを生み出す。例えば年老いていく毎に関節は重くなり、意志に追いつかなくなっていくぎこちなさ。例えば、突発的に文脈を寸断するような動き。関節を「ぎこちなく」するということは、文字通り動きを分節化(節に分ける)することである。関節の動きが「滑らか」であれば、それは「人間らしい」動きを生み出すことになる。動きに限らずとも、表情もまた突発的に表情を変えれば、それは気が狂ったようにも見えるだろうし、ゆっくりと、「気持ちを込めて」表情を作れば「人間らしい」感情表現になるだろう。

 人間が「人間らしく」あるとき、それは自らの意志を持っていると判断される時である。逆に機械的な印象を与えるのは、誰か他の存在者によって動かされているような突発性、ぎこちなさ、分節化された動きを伴っている時である(そこで我々は、言語だけは人間を分節化する、絶対者の息吹を感じさせる感性であることを思い出してみてもいいかもしれない)。『ヒュブリス』は、存在を突き動かす、この原因者に関する作品だったのではないかと私は考えている。非-人間的で突発的な動きは、その形象と距離を保っていられる限りは笑いを生み出すが、距離を取っていられない場合には、グロテスクさを生み出すことになる。そして、私たちにとってグロテスクとは何かということを提起する、その身振りに関する様々なイメージの展開が、この作品の中心テーマだったのではないかと私は思った。

 古賀がある時、私にこう語った。「誰しも、(自分の不能さについて)自分が悪いのか、社会が悪いのかって考えることがあると思うんですよ。人間って、生まれつきの体の性質で、ある程度人生とかも決まっちゃっているんじゃないかな、と。」

 そうやって考えてみると、『ヒュブリス』という作品がグロテスクに見えるのは、私たち観客もまた、少なからず自らの不能ぶりを知っており、舞台上にいる不具者たち(もしくは不具者のように見えるものたち)に対して、理解をしてしまっているからではないだろうか。自らももしかしたら「死体」かもしれないと、見たくもない鏡を見せ付けられてしまっているからではないだろうか。

 出演している四人全員が、クリエイションに参加する形態を取っているドクトペッパズだからこそ、私は彼らの「意志」を感じざるを得ず--少なくとも彼らを動かしているのは「演出家」ではなかった――、そこに一層のグロテスクさを感じるのであった。そしてもし本当に、「人間」を動かすのが「人間」であるという世界があるとしたら、その世界はどんなにおぞましいことだろうか。散文を扱う「人間」が、散文に憧れる「人間」を生み出す世界、その主従関係のことを我々は「社会」と呼ぶのではないだろうか。もしかしたら、「散文は既に古い」というのは、私たちの世界が十分に「社会化」されてしまっていることと関係があるのかもしれない。

 

5.

 三木美智代が主宰する(こしばきこうからの交代)風蝕異人街がチェーホフの『桜の園』を一人芝居にして上演した。ロパーヒンと思われる人物(舞台上には現れない)とラネーフスカヤ夫人の対話からなっている。公式ウェブサイトによれば、風蝕異人街は寺山修司作品を上演する劇団であり、チェーホフを扱うことは――こしば自身も言っていたが――「リアリズム劇」に「挑戦」した上演となった。

 確かに台詞は散文で語られ、内容も私的な問題を扱っていた。それはもちろんチェーホフなのだからそうなのだと言ってしまえばそうである。けれども、ラネーフスカヤ夫人の立場からしてそもそも、私たちの置かれている経済的状況からは大きな距離がある。夫人はブルジョワ階級に属しており、資産(土地)を持っている。生まれ育った土地から離れたくないという夫人の愛情は、どこか狂気じみており、私たちにとってはロパーヒンの提案(土地を売らずに吝嗇して暮らすよりは土地を売って、その現金で暮らすほうがよいのではないかという提案)の方が説得力を持っているように思えてならない。土地への哀愁、幼少期の思い出、そういった「人間」としての尊厳・存在条件は、ブルジョワ的なそれであり、生産と消費のサイクルの中に生きている小市民的な「人間」にとっては理解の範疇を超えるものに感じられる。

 それはある意味では、イプセンやストリンドベリ、ゾラらの戯曲を読んだ時に感じるような時代の差なのかもしれない。現在手元に資料がないので上手く引けないが、確かアドルノがルカーチのバルザック賛歌を批判するときに、ルカーチにとっての現実がもはや私たちにとっての現実ではない、というようなことを言っていたと思う。私たちがチェーホフに対して持つ距離も、そのようなものになってしまっているのではないだろうか。つまり、散文すら私たちにとっては既に古いのである。

 19世紀ないし20世紀中ごろに起こった散文への評価は、こう換言してよければ、意味の剥奪にあった。言語という既に分節化された思考を持ってして、いかにして非-意味へと近づくかということが、「小説」という芸術ジャンルに与えられた課題であった。そこではテクストはマチエール(素材)として扱われ、意味の遊戯はくだらなく、無価値で、不条理である。チェーホフが「文学」としても読まれ、「戯曲」としても上演されるのは、意味それ自体の深刻さと軽薄さの絶妙なバランスの取り方にあると言えるだろう。意味について泣き、同時に笑う。それはブルジョワ社会から産業社会へと至る悲しみと陽気さでもある。恐らく私たちに宿る散文への距離は、こういって良ければ、意味の軽薄さと陽気さと表面性から出発してしまっているということなのではないだろうか。意味を剥奪された記号の持つ陽気さは、私たちを図らずも形而上的な存在へと持ち上げている。この軽薄かつ重さを持たない流通=コミュニケーションの中で、いかにして生へと立ち返るか。そうした問題がチェーホフの上演というものの中に含まれているような――そしてそれは「散文の上演」とも言い換えられる――気がしてならないのである。

 

6. 

 残る4つの作品については、二つずつ扱いながら論じていきたい。

 岸田國士『紙風船』を劇団ヘアピン倶楽部とNUDOが扱い、同時上演された。

 ヘアピン倶楽部のバージョンは大幅な改編がなされ、あくまで『紙風船』を土台としたオリジナル戯曲になっていた。過去付き合っていた女の下に男が訪れ、男は自らのダメっぷりを告白し、女は現在の結婚生活について語る。途中、階下に住んでいる学生が尋ねてくる。

 これは解釈によっては、(原作の)夫と妻の今後の世界だとも言えるだろう。恋愛から結婚へと生活基盤を移し、その後離婚へと至る。離婚後の人間の生活がどのようなものになっているのか、大正時代から平成へと時代も含めて移ってきていると言える。

 特筆すべきは、独特の台詞の間である。全ての台詞が、(恐らくは)テキスト上では散文的な対話として書かれている。しかし、その対話はスムースには運ばない。途切れ途切れに台詞が止まったり、早くなったり、時に大声になったりする。そこでは「対話」すらも成立していないのである。

 この散文の崩れた文体は、仮にもし病名を与えるとしたら「コミュニケーション不全」と言われるのだろう。人の目を見て話すことができなかったり、つい大声になってしまったり、質問に上手く答えることができないようなコミュニケーション=対話の様式。それは「社会」の中では「不全」だとみなされ、時に「不審者」扱いされてしまう。作演の有川の文体の特徴は、まさにこの間である。

 しかし、いつからだろうか。「社会」それ自体が私たちの生にここまで浸透し、力を持つようになったのは。インターネットメディアの発達はそれを助長したとも言える。私たちの「会話」の中からは沈黙が排除され、「世論」という見えない圧力が私的な会話さえも支配し、「親密な会話」を奪っていったのは。一時はSNSが孤立している個人をつなげる利点を持っているとささやかれた時もあったように思うが、その実態は「私的な」発言や画像はすぐに情報通によって「晒されて」しまい、強い拘束力を持った公共空間になってしまったのではないだろうか。90年代にあったような、秘密の世界を覗き見るような経験は、もはやインターネットメディアの中にはない。それはアクセスの自由を担保する代わりに、情報の密度や価値を暴落させてしまった。

 ある意味では、私たちの散文的世界とは、分断され、かつ政治的に正しいような文体によって構成されているのではないだろうか。ネットスラングのような文章の分断は、一見散文的に見えるが、その内実は小さな村社会を形成するための極めて保守的なイデオロギーによって支えられている。ここでは散文とは公共空間において個人を守る言語として機能している。逆に言えば、スラングはインターネットメディアに入るための一つのコードでしかなく、何か新しいことや理解されづらいようなことを言うような文体ではないのである。 

 私的な経験を元にすることを許していただきたい。例えば友人と会って話すとき、「フェイスブックに書いたけど」とか「ツイッターに載せた写真なんだけど」と、SNSに挙げた情報を前提かのように話すことがある。さも、それ以上は新しく言うことがないかのようである。そこでは、対話は成立していない。新しく友人に「話す」ことがないからである。私たちは「話す」という機会を多く失ってしまったのではないだろうか。むろん、「書く」ないし「書き込む」機会は以前よりも増えただろう。私たちは「話す」よりも「独りごちる」方が増えたのではないだろうか。そして、それだけで十分に私生活は満たされるようになったのではないだろうか。

 対話をその文学的資源として用いる劇芸術にとって、この現実社会での変化は重要な変化である。対話さえも「自然」ではない社会、その社会にあって対話はどのように描かれるべきなのか。その答えの一つが有川版『紙風船』=『Sunday People』なのではないだろうか。

 「コミュニケーション不全」、それは「散文」の上演の不可能性である。意味を重く捉えすぎ、自分の問題にひきつけすぎることによって起こる交通の不全。交通は、滑らかに、軽やかになされなければならない。そのためには意味を軽視する必要があるのだ。だから「不全」とはこの場合には、意味を重く捉えすぎてしまう、そこで立ち止まってしまう人のことを指すようになる。「社会」に出る前に「意味」の重さに怯え、そこに生を掛けることができなくなった人々は、一歩踏み出すことなく立ち止まってしまう。一体、そうした人のなんと多いことだろうか。そして、そうした人を「社会」はいかに排除してきたことだろうか。

 

 もう一つ、同プログラムで上演されたNUDO『紙風船』について演出的な意図を触れてこの章を終えたい。なぜなら、劇評者自らの作品であって、多言を要しては錆びを生みかねないし、自身の作品については第三者の劇評者が必要だからである。

 大きく言って、演出では「戯曲で書かれた台詞を全て発すること」と「時代を変えない」ことをモットーとした。とはいえ、一部台詞をカットした部分もある。そこで演出プランとしては、普段俳優が台本を読む時に行う時代考証や登場人物の感情などの、いわゆる「読み」をそのまま言語化してみるという作業を設けてみた。これによって台本を「ドラマ的な部分」と「演劇性のある部分」に分けることができ、ドラマ的要素を極力少なくすることで、自分なりの散文への答えを出したつもりである。作品については、記録映像があるので、見てみたい方がいたら連絡を取っていただきたい。喜んで、映像資料を提供するつもりだ。

 

7.

 最後に紹介するのは、長堀博物館『ヘッダ・ガプラー』と雲の劇団雨蛙『財産没収』である。

 この二つの上演については、私がこれまでに述べてきた散文という様式に対する問題意識への戸惑いとして紹介したい。つまり、上演は思いのほか「全うに」行われたし、演出的な操作というものが戯曲に介入していたというよりも、戯曲を説明するために作用していたと私には感じられたのである。それは、未だに「散文によるドラマ」が演出的な操作なしで成立するということを意味するであろうし、「非‐散文的な非‐ドラマ」という反動も意味をなさないということを反省させるものであろう。

 両者の上演においても音楽が背景的に用いられていた。言ってしまえば、これはサイコ・ドラマのような印象を私に与えてしまった。この場合、俳優の演技は極めて限られたものになってしまうだろう、もっと言えば「テキスト」にも「音楽」にも、従属しなければならない存在にしかならないだろう。それを果たして「演出」的な操作と言えるだろうか。私はあくまで、演出は俳優の演技を引き出すものであると考えているし、それを私はあくまで「演出」と呼びたい。それはまさに、スタニスラフスキーがアメリカで「システム」として理解され、サイコ・ドラマにとって好都合な演劇論を提供してしまったのと事態は似ている。私たちはいまだに、スタニスラフスキーの功罪について語っていくべきだろう。彼は俳優という存在を過大評価していたし、だからこそ同時に現実の俳優に落胆しただろうし、その神秘化は演出家にとっては極めて魅力的な逆説である。

 けれども、それが神秘化であることを忘れてはならない。俳優は登場人物には「成りきらない」し、俳優は「テキストを伝達する媒体」ではない。演出家はテキストの純粋な解釈者ではないし、演劇というものがそもそもその不純さという呪いを引き受けなければならないのである。

 

8.

 「古典」の上演を銘打ったはずの演劇祭の「散文への回帰」。それは逆説的であると共に、21世紀的な展望も示しているのではないだろうか。散文は既に「文学的」であり、「古典的」である。――私はあなたがたに語り掛けている――。これは実践的な意味で、そうなのである。演劇における「小説」の呪縛。それは根本的には「読まれるテクスト」が「歴史的なテクスト」として文化的・社会的な文脈を汲み取られることによって「古典的」になる。そこには意味に対する無防備な姿勢が読み取られるべきではないだろうか。「意味」を伝達するメディアそれ自体への懐疑の姿勢というものが、形式に向けられる懐疑の姿勢というものが、欠如している――いや、欠如させられている。

 例えば、シェイクスピアの商業ベースでの上演。シェイクスピアは韻文ではなく、散文にまで貶められている――にも関わらず、それは16世紀的なテクストとして扱われるのである。この「散文への回帰」は十分に実践的・今日的な問題である。同じようにして、例えば新人の劇作家・演出家に対して与えられる賞。テクストの水準と上演の水準は十分に混同されているし、ともすれば「上演に適したテクスト」というものが評価されがちであるような印象を免れない。上演に対して適したテクストを書くことが、果たして本当に良質な上演を保障するのであろうか。「劇作家」という職能が、さも舞台表現に精通した作家の書くシナリオであるかのように考えられている事態。それは「芸術」の皮を被っているだけで、十分に上記の問題と同じ問題を抱えているのである。つまり、さも「劇作」という職能が存在するかのような振る舞い。その熟練度に対する敬意と評価。――それは十分に「保守的」ではあるまいか? テクストの「文脈化」は、メディア(メディア=媒体とは、観客の目の前にある素材のことである)のヒエラルキーを覆い隠してしまう。私はそれを「上演への回帰」と改めて言い直したいと思う。

 我々はテクストに回帰しなければならない。だが、テクストを素材として扱いうるような記号として立ち戻らなければならない。当たり前のことを改めて言おう。テクストそれ自体は、上演それ自体ではない。アントワーヌの『幽霊』の上演は会員制の劇場で行われた。そのメディアの選択が演出という仕事なのである。イプセンを上演することそれ自体が十分に政治的な身振りであるし、政治に対する抵抗の身振りであるということを改めて思い出していただきたい。――テクストへの回帰は、上演を前提とはしない。

 逆接めいた言い方を許していただきたい。けれど、私は繰り返し言いたい。テクストは上演を前提にするのではなく、テクストは既に上演されている。私が言う意味での「テクストへの回帰」とは、上演を前提としない既に上演されたテクストに耳を傾けることである。――逆接めいた言い方であるが、「プロダクション」に関わったことがある人は誰しもが、私の言いたいことが分かっていただけると思う。――私はあなたがたに語りかけている――。つまり、そうした「上演を前提」とした「読み方」を止めなければならないのである。――それは、アリストテレスが既に『詩学』の中で指摘していたことではないか?

 こうしたことを思うのは、私だけではないはずである。そして経験上で物を言うことを許されるならば、ここ20年の間で上演から手を切った、ないし上演に対して絶望している(元)劇作家・演出家というのは、「上演を前提とした」演劇という言説に嫌気がさしているのではないだろうか、という気がしてならないのである。「上演」が「前提とされる」という操作は、演劇に真摯であればあるほど、矛盾したものに感じられる。私は似たようなことを感じている全ての人に対して、口を開いて欲しいと思っている。

 私がここで述べている事態が、実際には恐ろしい事態であることは承知している。でもだからこそ、こうした形でしか書けないことを許してもらいたい。――それでも十分に「危険な」「リスクのある」文章を書いているつもりだ。けれどもそれは、演劇へと向かうための姿勢なのだということを理解してもらいたい。

 是非とも問題を開いていただきたい。問題は複雑に絡み合って、一言で語るにはリスクの高いことかもしれないが、こうして少しずつでも演劇を揺るがす根底的な問題に対して対処していければ幸いである。

 

よこたたかお

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