NUDO:『紙風船』(岸田國士)
ヘアピン倶楽部:『Sunday people』(原作:岸田國士)
M.M.S.T:『カラマーゾフの兄弟』(原作:ドストエフスキー)
劇団ドクトペッパズ:『ヒュブリス』(原作:シェリー『フランケンシュタン』)
長堀博物館◎プロデュース5:『ヘッダー・ガブラー』(イプセン)
劇団総合藝術会議:『J.A.Strindbergの害について』
(チェーホフ&ストリンドベリ)
雲の劇団雨蛙:『財産没収』(テネシー・ウィリアムズ)
三木美智代in風蝕異人街:『三木美智代飛び出せ文学全集シリーズ「桜の園」』
(原作:チェーホフ)
人間は過去の甘美な記憶を追憶し、反復することでしか辛い現実を生き抜くことができない。その意味で、人間は日常的に現前を反復し、反芻しながら生きている。それは人間が郷愁の中で生きられないということを意味することであるが、それは同時に何故我々は目の前にある現実を捨て去り、媒体を通じてしか接触することができないのか、という悲しみをも意味する。『紙風船』に描かれている夫婦は、愛に包まれた関係から、記憶の中の甘美なあの時の恋愛として上演される。
【劇団紹介】
「俳優はイメージを操作する主体である」という問題意識を出発点に、俳優の技能としてのイメージの操作能力、時間的認識という二つの観点からテクストを再構成する。
『Sunday people』
原作 岸田國士
日曜日の昼。女の家。部屋には紙風船が一つ転がっている。結婚したその女の家にやってくる男。その女の家に突然やってくる、近所の男。漠然とすぎる時間。だらだらとどうしようもなく時間は流れる。残酷に。
【劇団紹介】
2 012年9月演劇ユニットとして、板橋サブテレ二アンで「曲線」により活動開始。その後、2 013年3月にサブテレ二アン提携公演として「リンゴとコーヒー」を上演。人間は色々と様々の事象と折り合いを付けながら生きているという事を現段階での、作劇の出立地点としている。人と人の間に生まれてきてしまう事を紡ぎだそうという試みと演劇とは何であろうか?という疑問を足掛かりとして、人が人前で行う演劇というモノにやってくる様々な問題を考えていこうという集団。地道に活動をしている。
『カラマーゾフの兄弟』
原作 ドストエフスキー
今回『家族』というテーマから切り込み、宗教問題ではない「倫理」について考えてみたいと思います。ドストエフスキーの世界には、強烈な「信仰心」が漂っている為か、ある「構え」をもって臨まないとキリスト教の研究で終わってしまう可能性が高いということです。本作の創作を通して現代の日本人としての 「キリスト教」及び「信仰」について考える契機を生み出せればと考えます。
【劇団紹介】
「現代における演劇の確立」をコンセプトに19 9 8 年東京にて活動を開始。舞台に立つ身体の特権性を常に問い返しながら、独自の身体感覚で現代から古典まで様々なテキストに取り組んでいる。
『ヒュブリス』
原作 シェリー『フランケンシュタン』
『ヒュブリス』はシェリー『フランケンシュタイン』の、怪物創造の部分に焦点を当てた作品です。死体にも生きてきた人生の中で知らず知らずに傲慢な行動をとってしまった過去があり、その傲慢性が怪物の中に集積し、脈打っていると考えました。『ヒュブリス』は非常に分かりにくい作品ですが、色々と想像しながらご覧になっていただきたいです。
【劇団紹介】
座・高円寺内にある劇場創造アカデミーの修了第一期生4人(大山晴子、古賀彰吾、島田健司、下村界)にて2 012年に旗揚げ。「過去から学ぶ」をコンセプトに、主に古典戯曲や既成の小説、物語などを元にした演劇創作の集団として活動している。
『ヘッダー・ガブラー』
作 イプセン
長堀にとってのイプセンは、2003 年の「利賀演出家コンクール」に次いで2 回目。今回の「ヘッダ」も、俯瞰では「人形の家」に符合するような人間関係をベースとして、主人公の女性をキーパーソンに衝撃的な結末を描き出している。イプセンは「人形の家」での評価から、女性の権利を獲得する運動の旗手となったが、「ヘッダ」の女性としての個性も特殊だ。
【劇団紹介】
2 011年に2 0周年を迎えた「楽園王」の主宰、長堀博士が、個に根ざしたより実験的な表現の模索を行う為に活動。
『J.A.Strindbergの害について』
原作 チェーホフ&ストリンドベリ
戯曲のフォーマットはチェーホフの「タバコの害について」をなぞり、劇作家ストリンドベリの作家とその時代について扱う。演劇史的に捉えられた戯曲は時の洗礼を受ける。そのプロセスは浮き彫りになり、現代へ通じていく。またストリンドベリ自身の「全か無か」という問いかけは、現代において遠くはない言葉になるだろう。それは登場人物の私憤に傾いて行くモノローグでも触れられることになる。
【劇団紹介】
2 0 0 9 年10月「全てを包括しうる演劇」という標榜のもと、嵩山貴士を中心に結成された。毎回、演劇史の過去及び未来を見つめた検証、もしくは発明のもと、「戯曲に基づく俳優至上主義」や「最小単位の観客数」など公演毎のカンパニーに則ってクリエイションが行なわれる。
『財産没収』
作 テネシー・ウィリアムズ
この「財産没収」という作品は初めて「カメラアイ」という演出的手法を取り入れて行われた、実験的または前衛的な芝居であった。登場人物は、二人。片手にバナナ、片手に壊れた人形を持って、レールの上をバランスを取りながら歩く、年には不釣り合いの化粧と夜会服の少女と、凧遊びをする少年。テネシーウィリアムズ的世界観が生み出す、「子供と性」について考えていきたいと思う。
【劇団紹介】
島根を拠点に活動する、役者 朝日山裕子と作・演出家 岡田和歌冶のユニット。2 012年9月に広島で行われた劇王X中国ブロック大会より活動開始。
『三木美智代飛び出せ文学全集シリーズ「桜の園」』
原作 チェーホフ
この作品の同時代的な滅びゆくものへの哀愁をラネーフスカヤの心の「空席」として描きました。ラネーフスカヤへの執着が嵩じたあげく、『桜の園』を「一人芝居」にしました。そして「桜の園」を捨てることでやっと放出されたラネーフスカヤは再び孤独に翻弄されるのです。結語として、俳優は「桜の園」を去るラネーフスカヤの一見解き放たれたかに見えるその孤独と哀愁を内側に秘めた身体で表現します。
【劇団紹介】
札幌アトリエ「阿呆船」を拠点に東京でも活動している。寺山修司作品を上演するために旗揚げし、未だにアングラという言葉で形容される魂の叫びを発しつつ、独特の怪しさと色彩感覚を放つ演出が定評。